他人と共同作業をしていて問題点を見つけた場合,少し失敗してみると,その問題点が明確になるしどこでどんな修正がされたかも残るのだが,そうも言っていられないこともある。
最近,似たような,というか同じ問題を指摘している記事に出会ったので反応してみる。
問題は、ナースたちが優秀であればあるほど、システム上の問題点が病院の経営側に伝わって来ないこと。ナースたちにとってみれば、システムの欠陥を指摘する・他人のミスを指摘する・ミスの原因を徹底究明する・経営陣に改善を申し出る、などは彼らの仕事ではなく、そんな暇があったら一分一秒でも患者のためになることをすべき。
「ナース」を「現場で働く社員」に置き換えてみれば,これは病院に限ったことではなく,よく目にする光景になる。この問題の解決策の1つに「失敗の可視化」がある。
正当な判断というのは「失敗が可視化」されるものだけが評価されるのかも知れないと思いました。
上の2つの記事では,視点をシステムに向けているか,個人の評価に向けているかの違いはあるが,同じ問題点が取り上げられている。
複数の人たちとプロジェクトを進めているとき,問題は発生する。計画通り上手くいくことは少ない。もしかすると「計画通り」かも知れないが,計画に見落としがあったりして,計画通りやると失敗するというのもある。こんなとき,問題の発生の直前にそれを予見して回避策を打ち出してしまうと,問題点が見えにくくなる。一番いいのは計画通りにやって実際に失敗することである。失敗すると,それに関わっている人全員が問題を認識することができる。解決策も何人かで検討することができる。しかし,実際は難しい。時間の制限もあるし,失敗してからでは被害が広がってしまい手遅れになることもあるからだ。
病院で失敗するのは,特に危険である。失敗は命に関わるからである。失敗しないように工夫していかなければならない。看護記録は、一体どうなってしまっているのだろうか
という意見があるが (404 Blog Not Found:優秀なナースなら当然看護記録は付けてるよね?),看護記録からの改善は困難である。看護記録は当然つけているだろう。しかし,そこには「どのような処置をした」と記録されるのだけあって,そこから「システム的にどのような問題があるのか」を読み取るのは難しい。例えば,「シーツが不足していたため,別の階から調達した」と記録されていれば,「ふーん,一時的に足りなかったみたいだけど,最終的には間に合ったわけね」と読んでしまうわけで,「シーツが不足しないような仕組みを考えよう」とはならないのだ。だから,極端な場合,誰かが死ぬまでは改善されない。まあ,シーツで人が死ぬことはないんだけれども。
チームで進めているプロジェクトの場合でも,失敗できないことは多い。しかし,問題点は明確にしておきたい。時間に余裕があるのなら,次のステップを踏むことができる。
自分がもしも「仕事ができる人」であれば,次のようにできるかも知れない。問題解決にかかる時間を短縮することができる。
この失敗としては,「バーン」とぶつかって大破してからでは遅い。少しだけの失敗,例えば「コツン」くらいでなければならない。車を運転しているときならば,「コツン」でも乗っている全員が認識できる。とはいえ,自分の車であれば傷つくのは悲しい。「会社の車だし,自分の責任じゃないし」だったら,失敗できるかも。
プロジェクトでなくても,会社の仕組みが問題で失敗が起こることがある。仕組みの改善を考えるのであれば,次の点に留意しなければならない。
ただし,これは出発点であって,問題の指摘から改善まで持っていくのはまた大変である。
Posted by n at 2007-11-29 23:53 | Edit | Comments (1) | Trackback(0)
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これは確かに!! オイラは建築業を営んでますが 設計がわかってないと 絶対に 物理的に 不可能なモノを書いてきたりして・・・ これは出来ない! って言うのは 職人の腕じゃないのに! って思う事もありますが・・・ 不細工な看護士は 病院側のミスだと・・・ あれほど患者にとっての不幸はないかと・・・思うのは・・・ 誰も気付かずにいると思うのですが・・・
Posted by: maro助 at December 01, 2007 20:13