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English 「英文法をこわす」で英語の感覚をつかむ

大西泰斗著「英文法をこわす」は何を「こわす」のかというと,「日本における学校英文法」である。学校英文法の限界を示し,その限界の向こう側にある表現にどう迫ればよいかについて書かれている。

■ ■ ■

はじめに

日本で教えられている学校英文法は,規則を細かく分類することで英語を捉えていくというアプローチである。これはひとつの方法である。だからといって他に方法がないというわけではない。大西泰斗著の 英文法をこわす―感覚による再構築 (NHKブックス)では,別の方法を示してくれている。

機械信仰を捨てて人間の持つ感覚をたよりに

日本語でも英語でも,無意識的に自由に使っている言語というものは,不思議と規則的になっているものである。その規則を明示したものが「文法」である。学校英文法は,この文法だけですべての英文が表現できると学習者に教えてきた。そして,限界があることは教えてくれていない。

学校文法によるアプローチ
学校文法によるアプローチ


学校英文法にも利用する価値はもちろんある。初学者にとっては,簡単な英文を読んだり書いたりするのに学校英文法はもってこいである。また,英文を機械的に処理して日本語に変換できるという発想は,機械翻訳に向いている。大量の規則を用意しておけば一発変換できるからだ。自動翻訳の未来はこの延長上にあるだろう。しかし,人間の学習者にとっては,学習が進むにつれて今まで支えだった文法は逆に足かせになってくる。「大量の規則」を人間用に「少ない規則+多数の例外」に分解して,初級者は例外を覚える必要なし,中級者は例外に注意せよ,上級者は例外を当たり前のように使え,というのは酷な話なのだ。

逆に考えると,日本の学校英文法は出来がよすぎたのかも知れない。その規則だけでかなりの範囲をカバーできてしまえるからである。そのため,規則の方が逆に力を持ってしまい,「規則ですべての英語表現を解釈できる」という信仰になってしまったのではないか。もともと,学校英文法の目的は「この日本語を英語で言うにはどうすればいいのか→この規則を使えばOK」「この英文の構造は→この規則でOK」という『基本的な』規則を提供することだったはずなのに,『万能な』規則のようになってしまっていることが問題なのだ。

感覚によるアプローチ
感覚によるアプローチ


この「英文法をこわす」では,もう機械的に何とかできると思うのはやめましょうと言っている。人間が機械の延長にある考え方は捨てましょうというのだ。英語圏の人も日本語圏にいる人も同じ人間なのだから,人間同士で分かり合えるものが必ずあるはずで,それを使わない手はないと言うのだ。人間同士で共有できるものとは「感覚」である。機械的処理は明確に記述することができる。これは大きな利点だが,限界がある。人間の感覚は明確には記述できないが,もしそれをつかめたなら,それを使った表現には限界はなくなるのである。この本には,感覚をつかむためのヒントが書かれている。

例えば,日本語であれば「きれい」という言葉のイメージは何なのかを説明してくれていると思えばよい。「きれい」と言っても「花がきれい」「部屋がきれいに片づいている」「料理をきれいに食べた」など様々な使い方があって意味も違う。すべてを網羅するのは困難なので,その基本イメージは何なのか,そこから派生したイメージは何なのかに分けて解説されている。

考えられた例文

例文についてもよく考えられている。興味深いのは次の例である。学校文法では,過去形の用法として「丁寧表現」「控えめな表現」「仮定法」があると教えているが,同じ英文だったとしても場面によって変わりうるというのである。

会議の席上,社運を賭けたプロジェクトの意見を求められている。ところがこのプロジェクトには賛否両論があり,下手な意見を言うと墓穴を掘る状況。あなたは…

a. I would prefer to keep my opinion to myself.
(ここでは意見を差し控えさせていただきます)

会議室を出たあなたは,部下と喫茶店へ。ひとしきりプロジェクトの欠点を述べた後,あなたは…

b. But in front of the manager, I would prefer to keep my opinion to myself.
(でも部長の前では意見したりしないだろうなぁ)

会社に帰ると社長室の前に,先ほどの会議に出席していた同期が。この男,営業成績不振で,上役にニラまれるとクビが危ない。どうやらプロジェクト反対を直訴しに来たようだ。あなたは…

c. In your shoes, I would prefer to keep my opinion to myself.
(君の立場なら自分の意見を言ったりしないだろうな)

つまり同じ過去形があるときには「丁寧表現」に,あるときには「控えめな表現」,そして「仮定法」に,その場その場において解釈されているに過ぎないのである。

英文法をこわす―感覚による再構築 pp. 93-94

「ある時は…またある時は…しかしてその実体は」ときたら (キューティーハニー - Wikipedia),いろいろ着ているものを脱がせて,触ってみて,その「感覚」を… いや,失礼。

大西泰斗氏は,その多くの著作のどれもがこの「英語の持つ感覚を知る」という視点で書かれている。よく言われることに「英語をマスターするなら,大量の英語に触れるのが」というのがあるが,その前に英語の「感覚」を知っているかどうかでは大きく効果が違ってくる。「英語をマスターするなら,まずその感覚を知った上で,英語に触れていくのが」いいだろう。感覚を知るには大西泰斗氏の本ならどれでもいい。

ちなみに,大西氏の本には不思議なイラストが多く登場するのだが,この「英文法をこわす」のイラストは職業イラストレータによるものなのか比較的おとなしめで,不思議ちゃん度は低くなっている。

誤植

Where ...?
Where ...?


誤植が1つあった。p. 179 の「Where did I park my car?」と「Where have I parked my car?」の図が逆である (2003年1月30日発行の第1刷)。

まとめ

感覚によってイメージを再構築するというアプローチは興味深い。しかし,実際にはそのイメージを持てばそれだけで英語が話せるようにはならない。これに対し,学校英文法は,自由な表現はできないにしてもある程度はできるという点で安心感がある。したがって,学校英文法は基本として学び,それらを有機的につなげるために感覚を学ぶというのが,学習者として正しい戦略だろう。

上であげた日本語の「きれい」の例にもあるように,日本人が日本語をすべて説明できるかといえばそうではないわけだし,ましてや外国語であれば長い道が待ち構えていることは疑う余地もない。この本が示してくれるのは,その長い道を行くときの道しるべなのである。

私たちの――無意識のうちに駆使している――日本語能力も,日々の積み重ねから成り立っています。ことばの上達に近道はないのですよ。

英文法をこわす―感覚による再構築 p. 220

Posted by n at 2010-02-07 09:35 | Edit | Comments (0) | Trackback(0)
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